« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »

「迷春」

 春が来たなぁー!と思ったら寒気団が南下し。花が少し開花すると!春の淡雪が蕾を覆う。
仕舞いかけた暖房機が再登場。 今年は予測のつかない気候です。私は今年の春を 『迷春(めいしゅん)』 と名付けました。しかし本日の快晴を見ると、もう春も真っ直ぐに北上するでしょう。

 我が家の庭の 「タムシバ」 が開き始め、また 「木瓜」 の花も春を告げています。Img_0298 Img_0301
 今月に入り、目の痒みと鼻水の「花粉症」に悩み続けました。十日ほど前から 「ヨーグルト」 を毎朝食べ続けて体質改善の効果か?かなり楽になり助かっています。o(*^▽^*)o「花粉症」の方試してみてはどうでしょうか?

 今朝の冷え込みは日野山、北尾根の斜面は氷付いておりました。Img_2080 登山道に長い「ツララ」が出ていました。
今日の様な一日中の快晴は12~13日振りですsun。山頂から素晴らしい光景(展望)を見ることが出来ました。

 「シュンラン」 の花も終わりかけです。Img_0307_1 Img_2086
一眼レフ望遠で撮ったものと、コンパクトで撮った写真です。比べてみて下さい、チョッピリ違いが判るようです。




 登山者は私をはじめ、毎日が日曜日の人ばかりでした。Img_2082
名残雪の登山道を下る登山者。gemini

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「百名山の人 深田久弥伝」

 昨今の登山のブームの切掛けとなったのは 深田久弥 著 の 「日本百名山」 であったと言っても過言ではないと思います。山登りを目指す者のバイブルのような文献である。

 小生も5~6年前までは百名山を目指して連休や休暇を費やしていましたが、何故か百名山、二十数座を残してから、こだわらなくなって来ています。Img_2078

 「日本百名山」 はいかにして生まれたか?
 田澤拓也 著 「百名山の人 深田久弥伝」 を読みました。090320

深田久弥は石川県加賀市(旧 大聖寺町)生まれで、旧制福井中学、第一高等学校、帝大と進まれて。小説家となる。
 彼の知られざる生涯を紹介した本です。
彼は子供の頃から衣・食・住に関して無関心な性格であったらしい。身のまわりの無精や無頓着は50歳を過ぎても一向に変わらない、不器用かつ朴訥の人で多くの人々から愛された温厚な人柄であったらしい。
 妻であり作家である北畠八穂との確執がありました、小説家としての挫折。小林秀雄、井伏鱒二ら鎌倉文士との関係。彼の小説としての作品はあまり知られていない。
 北畠八穂と離婚後、志げ子と再婚して日本各地の山々を精力的に登る。
 深田久弥は小説家なのか登山者なのかとも言われたが、「日本百名山」は不朽の文学であると評されています。昭和46年(1971年)3月21日、山梨県の 茅ヶ岳 (標高1704m)亡くなっています。一度登って深田久弥を偲んでみたい山です。日本山岳会会員番号は1586番。
 小生も百名山に登る前に「日本百名山」を読みある程度、その山の知識を得て、また帰ってからも読み返し二度楽しんでいます。Img_2079
 もう一冊 田中澄江 著 「花の百名山」 も手元に置いて暇があると読んでいます。 北アルプス双六小屋の看板は彼女の書によるものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

文殊山 散策

 春分の日が過ぎ今日は初夏を思わせる暖かさ! 選抜高校野球も開幕し徐々に桜前線も北上しつつあります。                                    
                                                          幼い頃、祖母より 「三人よれば文殊の知恵」 と諺を聞き、北鯖江に 「文殊山」 と言う知恵の神様の山があると聞いていましたが、本日生まれて始めて登ってきました。モンジュ は マンジュ とも発音し、中国の 「満州」 の語源とも以前きいた事があります。_1
Img_0277 文殊山は標高365mの里山です。
登山コースは6箇所あるそうですが、少生は大正寺コース~室堂~本堂~奥の院~四方谷コースの約3時間の散策をしてきました。
この山は 「カタクリ」 の群生地として聞き及んでいます。
確かに登山道いたるところに 「カタクリ」 が生殖している。Img_0291 陽当たりの良いところではImg_0294 開花している所もありましたが、まだ時期が少々早いのか蕾の処が大部分でした。今月末には薄紫色で登山道が埋め尽くされる事と思います。
展望台からは美しい姿の「日野山」 を眺める事ができました。Img_0283
真っ白い 「白山」 下山途中に遠望できます。
文殊山は今から約1300年前の養老元年(717年)に 泰澄大師によって開かれた霊山で、越前五山(文殊山、白山、日野山、越知山、吉野ヶ岳)の中心に位置する重要な山と云われています。Img_0282_2 Img_0289_2
奥の院まではハイカーが沢山居ましたが、四方谷コースは2,3名のハイカーに会っただけでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

剱岳に三角点を !

 花粉症に悩まされ外出ままならず、「読書週間」の一週間です。
久し振りで山に関した本を読みました。国土地理院を退職された山田明著 「剱岳に三角点を!」 です。Img_2072
岩の殿堂 「剱岳」 は山登りを目指す者には、憧れの山の一つでしょう。
小生も平成6年8月7日に山頂を極めました。その時は三角点の標石は存在していなかったのことです。
1907年陸地測量部の 柴崎芳太郎 が登頂してから2007年で百年。
これを記念して彼が果たせなかった三角点の設置を、国土地理院北陸測量部が主となって設置した記録です。剱岳の三角点は 「三等三角点」 です。三角点には、一等、二等・三等、四等、と一等・二等多角点の4種が有り。それぞれに柱石のサイズが違うそうです。花崗岩で重さは60kgs以上で文字面は南向きに決められている。090316_c 090316_b 090316_a
「百年の時を経て剱岳山頂に三角点を建つ、明治の測量官の想いを埋めて」
富山西校の生徒など60名のボランティアが室堂から雷鳥坂キャンプ場まで背負子で担いでリレーしたそうです。
60kgsの重量は相当肩に食い込んだと思います。三角点設置後、GPSなどで再度測量したが残念ながら3000mに1m足らなかったそうです。
 柴崎芳太郎の名は、新田次郎著 「剱岳・点の記」 で小生も知りました。
前人未踏の剱岳と思われていましたが、彼が登頂した山頂には、錆びた剣と錫丈がすでに有ったと。「大字瀬ケ口ヨリ山路十五丁余ヲ登リ頂ヨリ左ニ峯ヲ進ムコト五丁ニシテ本点ニ達ス困難ナリ」俗称  劔ケ岳  Dsc002422a Photo彼の記録の一部です。
剱岳・点の記は映画化され、現在撮影中とのこと6月には封切予定と聞いております。
楽しみが又ひとつ増えました。
写真は柴崎測量官と長次郎です。地下足袋が靴、蓑が雨具の時代。我々は今、登山靴とゴアテックスの雨具で快適な登山できる幸せですね。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

春の天気は気まぐれ

 昨夜、就寝時には東方の空にマンマルの満月が浮かんでいましたが、今朝は久し振りの

白一色の銀世界。8時過ぎには春の太陽が燦燦と輝いていました。

「おんな心と 春の空」 とは、気ままなたとえですね。

昨日まで冬枯れ状態の「日野山」も現時点(Pm4:00)でも薄く雪化粧をしています。Img_2059


「比丘尼ころがし」 も御覧の通り白くなりました。Img_2060

山頂で5~6cmの積雪でした。しかし春の淡雪はすぐに消滅するでしょう。

新雪を踏みしめる時の感触を味わいながら I 氏と林道を下山を楽しみ

ました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

箱館の危機!

 箱館が植民地になってしまう!。
明治維新の時、箱館(現在は函館と書くが当時は箱館と書いていたらしい)がロシアの植民地になるところであった。
090131 富樫倫太郎著 「箱館 売ります」 を読み終えて。
明治新政府軍と旧徳川幕府軍、日本人同士が戦っている隙に、函館が危機に陥る寸前であった。
「ガルトネル事件」 慶応3年(1867年)箱館奉行・杉浦兵庫頭に田畑試作を依頼されたことをきっかけに、プロシア人、ガルトネル兄弟が、箱館近郊・亀田村で開墾を開始。江戸幕府が崩壊し。翌 慶応4年に新政府・箱館裁判所と契約を交したが、いっの間にか1町ほどの租借地が7万坪に増えていた。ついで箱館を占領した 榎本武揚 との間に契約を継続、300万坪を99年租借することに成功していた。明治3年(1879年)新政府は広大な土地に治外法権を認めておくことを問題とし、6万2500両を支払ってようやくこの土地を取り戻した。ノンフィクション小説です。 
 榎本武揚の他、新撰組副隊長・ 土方歳三 や 大鳥圭介 等が登場している。

 もう一冊は同じく、富樫倫太郎著 「堂島物語」 です。090210
現代の株取引のように、乱高下を繰り返す江戸時代、大阪 堂島の米相場。予測不可能な幕府未公認の先物取引「日仕舞い」(ディー・トレード)に一人の男がすべてを賭けた物語です。余談ですが、昨日(9日)の東京株式市場で、26年ぶりの最安値となったとの事。
 定額給付金による経済効果を狙うのも良いが、我々の税金をもっと世の中景気が良くなり、安定した経済効果をもたらす政策を打ち出し有効に使ってもらいたいものです。

 昨日の日野山情報。曇りの月曜日と言う事で登山者は少なく、小生を含め7名でした。Img_2038_1 「ショウジョウバカマ」 が咲いています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

今日は 「啓蟄」

 今日は 二十四節気のひとつ 「啓蟄」 です。冬ごもりしていた虫が春の暖かい陽気に誘われて地上に出てくる。
 モゾモゾと、虫達が這い出てくる状態を想像してみてください。ちょっと気持ち悪いかな?
 の下に  二匹をかいて 「蠢く」 (うごめく) 漢字って上手く考えてできていますね。

 本日花粉症にもめげず日野山に登ってきました、春を告げる植物達を見ることが出来ます。Img_0231_2
「ショウジョウバカマ」 が咲き出しました。Img_0232_1 Img_0237
また、ワラビ?のような芽もでており、 「イワウチ」 も花芽をつけ始めました。Img_0234
この写真はスギの切り株に芽を出してきた苔の新芽です、うごめく様に春の陽射しを受けています。

 昨日は 「ソメイヨシノの開花予想前線」 が発表されました。
桜前線の発表は気象庁とばかり思っていましたが、最近は気象庁vs気象協会vs大手気象情報会社「ウェザーニューズ」の "御三家″ が予想するらしい。
 開花日は3社で大きく予想が異なっています。
はたし的中するのは、どの予想会社でしょう?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

柳の五滝と大木

 権現山(565m)、Y氏と二十数年振りに訪れてきました。山頂までの記憶は殆ど薄れています。 この山の最大の魅力は柳谷にある5っの滝を見ながら楽しい山登りが出来るコースです。下から不動の滝、お釜の滝、布滝、窓滝、夫婦の滝と連続してあり、これを 「柳の五滝」 と言うそうです。Img_2024_2 Img_2026

布滝は36mの落差があり、白い布を流しているようで見ごたえがあります。窓滝の近くには、「こもり穴」があり、平家の落人が隠れ棲んだと聞いています。

尾根道山頂近くになると、樹齢千年と云うツガの大木があります。幾つものコブがあり、幹の周りは6mはあるでしょう。

Img_2029_3 Img_2035_2         下山道(表参道)には根元が奇妙に変形したスギの大木もあります。権現山山頂には「松ヶ嶽神社があります、ここより約20分位で「官行造林記念碑」のある展望台にでます。
部子山が大きく望め、冠山、日野山も眺望する事が出来ます。
今日は我々を含めて7人の登山者でした。昨日、今日と天気に恵まれ奥越の山々への登山者は多かったでしょう。しかし小生は先日から花粉症に悩んでおり、鼻をかむので周りが紅く、目も痒くて大変苦労しております。bearing
Img_0224t Img_0227

雪割草(ミスミソウ)が少々開いていました、まだ早いようです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年2月 | トップページ | 2009年4月 »